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広島地方裁判所 昭和50年(わ)512号 判決

被告人 左山実

昭二六・三・八生 団体職員

主文

被告人を懲役六月及び拘留二九日に処する。

未決勾留日数中八〇日を右懲役刑に、二九日を右拘留刑にそれぞれ算入する。

この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人橋本晃、同藤川富雄、同鳥井正樹に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、両親が広島市における原子爆弾の被爆者であることから、被爆者問題を身辺に感じながら育ち、高校を卒業したころからは原水爆禁止運動の集会等にも参加し、次第に同問題に関心を深めていたところ、昭和四六年七月ころ、既存の原水爆禁止運動の在り方に批判的な被爆二世らを中心に全国被爆者青年同盟(以下被青同という)が結成された際、その標榜する被爆者の解放反戦等の主張に賛同し、爾来積極的に右被青同の活動に参加していたものであるが、

第一  昭和五〇年八月六日午前六時前ころ、前記被青同の主張する「被爆者援護法の制定」「平和祈念式典粉砕」「朝鮮侵略反対」等の宣伝活動をする目的で、広島市建設局管理課長三田直彦が管理し、周囲に鉄柵を設けて一般人の立ち入りを禁止している広島市大手町一丁目一〇番所在の通称「原爆ドーム(旧広島県産業奨励館跡)」区域内に、右管理課長の許可を受けないで西側鉄柵を乗り越えて侵入し、もつて入ることを禁じた場所に正当な理由がなく立ち入つた

第二  同日午前六時三〇分ころ、前記「原爆ドーム」東南部螺旋階段付近において、通報を受けて駆け付けた広島県警察本部機動隊所属広島県巡査鳥井正樹らに発見された際、右螺旋階段をよじ登つて地上約八・四五メートルの壁跡上(幅約四〇センチメートル)に至り、所携のハンドマイクで前記被青同の主張の演説を始めたところ、右鳥井巡査に降りるよう説得され「名前は何というか。」等と誰何されたが、何ら返答をしないため被告人を前記軽犯罪法違反の現行犯人として逮捕しようとして近づいた同巡査に対し、同所において、その右大腿部を左足で一回蹴る暴行を加え、もつて同巡査の右職務の執行を妨害した

ものである。

(証拠の標目)(略)

(本件各争点に対する判断)

第一  検察官は、判示第一の犯行につき、本件「原爆ドーム」は刑法一三〇条所定の「建造物」に該当する旨主張し、建造物侵入罪として公訴提起しているので、先ずこの点につき判断する。

一  右「原爆ドーム」が戦前広島県産業奨励館と称され、昭和二〇年八月六日広島市に原子爆弾が投下された際、そのほぼ直下において被災したものであることは公知の事実であるところ、裁判所の検証調書及び司法警察員作成の実況見分調書並びに第三回公判調書中証人三田直彦の供述部分によれば、右「原爆ドーム」の現況は、全般的にモルタル煉瓦造りで、直径約九メートル、高さ約二五メートルの円筒型部分を中心に、西側に玄関部分、北側に三階建部分(但し各階を区切る天井床壁はなし)、南側に鉄製螺旋階段を含む間仕切り部分更にこれらを東側から「コ」の字型に囲む高さ約三・六メートルの外壁部分(その東北隅には床面積約一二四平方メートルの元倉庫部分がある。)がつながつて成り立つており、これら一体となるものの周囲には高さ約一・一メートルの鉄柵がめぐらされているところ、屋蓋については、元倉庫部分において内部から多数の鉄パイプ状柱材によつて支えられたコンクリート塗り平板屋根がある以外、中央円筒型部分の頂部に通称の由来とされる半球状鉄骨(ドーム)が露わに冠されているだけでその他の部分には全く屋蓋と目されるものはなく、また、中央円筒型部分、三階建部分及び元倉庫部分に存する牆壁部分はいずれも出入口や窓と覚しき箇所にこれを塞ぐものは何もなく、そしてこれら牆壁内部には何らの什器類は存せず、更に、これら牆壁、外壁、間仕切り壁はところどころ煉瓦が剥離欠損し、その亀裂部分には補強剤が注入されているうえ、辺り一面に被爆時ないしはそれ以降に崩壊剥離したと思われる煉瓦片が無数に足の踏み場もない程累積飛散したままの状態であることが認められる。

二  他方、前記各証拠並びに広島県教育委員会教育長作成の「いわゆる原爆ドームについて(回答)」と題する書面及び広島市長作成の「通称原爆ドームの登記関係について(回答)」と題する書面によれば、右「原爆ドーム」は被爆後相当期間自然風化するまま放置され、現在建物登記や固定資産課税台帳への登載等はなされておらず、また文化財保護法あるいは広島県文化財保護条例に基づく史跡の指定もなされていないが、昭和四二年広島市当局において、原爆被災の惨状を後世まで保存する目的でその現状を固定すべく前記のような補強工事を施すとともに、その周囲に鉄柵を設けて、一般人の立ち入りを禁止するなどの措置をとつて管理されるに至つたものであること、そしてその鉄柵北側の記念碑に記銘されているように、右「原爆ドーム」は、それ自体が原爆投下の悲惨な様を後世に伝え人類の戒めとする記念物として保存管理されているものであつて、これを被爆以前に復旧したり、内部を改装して被爆記念物の展示、陳列等の用に供するものではないことが認められるのである。

三  ところで、刑法一三〇条所定の「建造物」とは、同法一〇八条、二六〇条等に規定するそれと共通するものであつて、一般に「屋蓋を有し、牆壁または柱材によつて支持されて土地に定着し、少なくとも人の起居出入りに適する構造を有する工作物」と解されており、当裁判所も基本的にはこれと同一の見解に立つものであるが、今少しそれを敷衍し、特に建造物侵入罪の保護法益等に照らして仔細に考察してみることとする。

さて、刑法一三〇条の保護法益は、現行刑法典の規定順序にもかかわらず、社会の平穏ではなく個人の住居を始めとする場所的支配の平穏であつて、もとよりそれは私的生活にとどまらず、官公署、会社事務所等における業務及びそれらに付随する財物等の保管などをも含め、広く人の起居出入りする場所に対する支配の平穏であることは言うまでもない。そうであるならば、本条の「建造物」としては、構造的にみて少なくとも雨露をしのぎ外部と区画された内的空間を有し人の内部的平穏を設定できるものであること、そして、当該工作物がその効用、使用目的等に照らし人の起居出入りを本来的に予定しているものであることが必要であり、右の要件を欠くものについては、建物類似の構造を有していても、その「建造物」性は消極的に解さざるを得ないということになる。

四  そこで前記一、二で認定した事実を踏まえ、右見解に照らして本件「原爆ドーム」の「建造物」性について検討してみるに、最も構造的に整つている元倉庫部分においてさえ、牆壁や内部の状態からみて外界から区画されて内部的平穏を設定しうるだけの体裁を有するものとはいいがたいうえ、最も重要な部分と目される中央円筒型部分を始めその他の部分に至つては、屋蓋が全くないかあるいはなきに等しく雨露をしのぐに足りる効用すら有していないことは明白であり、これら一体となる右「原爆ドーム」の全般的構造は、一言にして廃墟の感を免れず、到底人の起居出入りに適するものとは言い難く、また、その存在意義や管理方法などの点も併せて考察すれば、それが人の起居出入りを本来的に予定していないことも明らかであり、結局、本件「原爆ドーム」は刑法一三〇条にいう「建造物」には該当しないと断ぜざるを得ない。

五  そうすると、検察官の主張にもかかわらず、被告人が本件「原爆ドーム」区域内に立ち入つた所為は、建造物侵入罪に該当しないことになるが、右区域内が立ち入りを禁じられている場所であることは前記認定のとおりであるから、被告人には軽犯罪法一条三二号の罪が成立し、しかも本件検察官主張の訴因と判示認定の罪となるべき事実第一との間には公訴事実の同一性があるうえ、それは「建造物」性を消極に解しただけのいわゆる構成要件縮小認定の関係にあたるので、明示の訴因変更を経ることなく判示のとおり認定したわけである。

第二  弁護人は、判示第一の被告人の立入行為は、前記被青同の主張を明確にするため必要であつたから正当事由がある旨主張する。しかし、第三回公判調書中証人三田直彦の供述部分によれば、広島市当局がとつている本件「原爆ドーム」区域内への立入禁止の措置は、右「原爆ドーム」の現状保存と人体に対する危険防止のためであつて、右のような規制自体極めて合理的な措置というべきであるから、所論の立入理由は主張自体失当であり、その他全証拠に照らしても被告人において当該立入許可を得ることなく右区域内に立ち入ることを正当化する程の必要性ないし緊急な事情があつたとは到底認められないところである。従つて弁護人の右主張は理由がない。

第三  次に、弁護人は、判示第二の犯行につき、(一)被告人が鳥井巡査を足蹴りしたことの証明は不十分であり、また(二)仮に右事実があつたとしても、同巡査の現行犯人逮捕行為は、立入禁止違反の軽犯罪法該当行為につきなされたものであるところ、被告人の氏名、住居等の確認方法が極めて簡略であつて、それは軽微事件につき逮捕要件を定める刑事訴訟法二一七条の趣旨を没却するものであり、かつ、治安維持の見地からのみなされたもので軽犯罪法適用の濫用を戒める同法四条の精神にも反するものであるから違法な職務行為というべく、これを防ごうとした被告人の行為は正当防衛にあたる旨主張する。

よつて判断するに、

一  先づ右(一)の点については、第四回公判調書中証人鳥井正樹及び同藤川富雄の各供述部分により優にこれを認めることができ、また鳥井巡査を足蹴りにしたことを否定する被告人自身においても同巡査を自己に近寄らせないため手、足で何らかの仕種をしたことは肯認しているのであり、その他右認定を覆えすに足りる証拠はないので、この点に関する弁護人の主張は理由がない。

二  次に右(二)の正当防衛の主張については、前記公判調書中右鳥井及び藤川両証人の各供述部分によれば、「同人らは本件当日開催予定の平和祈念式典の警備のため出動していた警察官であつて、本件『原爆ドーム』にたれ幕が掛けられている旨の通報により同所に駆け付けた際、被告人が判示螺旋階段下付近にいるのを発見したため、軽犯罪法違反の疑いで職務質問するため同所に赴いたところ、被告人が右螺旋階段をよじ登つて前記壁上に至つたことから、右鳥井巡査において被告人に対し『立ち入りの許可を受けたか。そこから降りてこい。降りなければ逮捕する。』『名前は何というか。』などと誰何したが、被告人から返答がなかつたため被告人を逮捕すべく右螺旋階段を登つていつたこと」が認められるので、右のような状況で同巡査が「犯人の住居若しくは氏名が明らかでない場合」と判断したことはもとより正当であり、また、壁上の行き止まりに向かつたとはいえ、被告人が逃亡する虞れがないとも言えないから、いずれにしろ刑事訴訟法二一七条の要件を充足していることは明らかであり、かつ、犯行の明白性に加えて平和祈念式典挙行直前という時点、犯行場所の特殊性や被告人の右の如き応対態度等の状況に鑑みれば、本件犯行が軽犯罪法の適用される事案であつても逮捕の必要性は首肯されるところである。

されば、鳥井巡査の本件現行犯逮捕行為は適法であつて被告人に対して何ら不正の侵害行為は存しなかつたものであるから、被告人の行為は正当防衛成立の要件を欠くものというべく、この点に関する弁護人の主張も採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は軽犯罪法一条三二号に、判示第二の所為は刑法九五条一項に該当するところ、所定刑中判示第二の罪につき懲役刑を、判示第一の罪につき拘留刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法五三条一項により懲役刑と拘留刑とを併科し、その各所定刑期の範囲内で被告人を懲役六月及び拘留二九日に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中八〇日を右懲役刑に、二九日を右拘留刑にそれぞれ算入し、なお情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右懲役刑の執行を猶予することとし、訴訟費用のうち証人橋本晃、同藤川富雄、同鳥井正樹に支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 植杉豊 正木勝彦 周藤滋)

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